「名ばかり大学生」を読んでいます。そうなんだよな、と思うことが多いです。
教科書内容40%増 先日、来年度からの教科書の内容、新学習指導要領に沿って00年度比40%増加すると報道されていましたね。それによって現場に困惑が広がっているとも。
文科省は、教科書の内容をすべて教える必要がないと「教科書観」の転換を図るつもりと聞きますが、教師の皆さんは真面目ですから、そんなことがスムーズに行くものか?
教育って? 学力低下が喧伝されて久しい。その原因が「ゆとり教育」の導入に結び付けられたがゆえの今回の措置です。確かに、相対的に学力が低下していることはPISAの調査によっても裏付けられています。
しかし、学力低下の最前線は今までの学力中間層。そこへの対策を、授業時数の伴わない教科書の圧倒的な内容増というやプレッシャーとして現場に課すことが、学力向上や子どもたちの豊かな育ちにつながるのか、甚だ疑問です。
教育って何か、学力って何か、今の子どもたちの学びの成果は何で判断されているのか、そもそも、教育は何のためにあるのか、子どもたちの学ぶ意欲はどう考えられているのか、などなど、本当に考えさせられます。
冒頭の本、そんな現代の教育の病巣を抉り出しているように思います。
勉強しなくても卒業できる? 自分たちで選抜入学させておきながら、その学生たちの姿を嘆く、悪態をつく先生方がいます。というか、そう思っている先生方は多いように感じます。
真実かどうかはわかりませんが、この本には、今の大学は入学さえしてしまえば、ほとんど勉強しなくても卒業できると書かれています。仮にそれが真実だとすれば、先生方自らの責任かも知れません。
勉強=競争 その背景として、日本の戦後教育は、一貫して学ぶことそのものを求めてきたのではなく、単に競争することを求めてきたと断じ、勉強=競争である以上、競争のないところから学びは次々と消えるのは当然と書かれています。
少子化に伴い、日本の大学ではAO入試が増え、半数の学生がAO入試で入学していると言われています。つまり、前述の論が正しければ、少子化によって間口が広がった大学に、競争を経ることなく入学する学生は勉強しないのは当たり前ということ。勉強しなくても卒業させてもらえるのだから。
大学に行ける環境のある(お金がある)子どもたちで、塾の環境がなかったり、上位に入れない子どもたちの勉強への意欲が下がるのは当然の構造かもしれません。
一方、苛烈な受験勉強を勝ち残った学生も、一旦入学してしまうと勉強しなくなるという。勉強しなくても卒業できる=競争がなくなるわけですから。
初年度教育如何 また、入試成績がいくら良くても初年度で伸び悩むと高い確率で専門教育でも良い成績が修められないという。つまり、初年度教育の如何にかかっている。
それは、大学生の学習成果を規定するものは、一定学力水準の学力さえあれば、選抜成績や受験学力の差ではなく、入学直後からの教育が如何に重要であるかということです。
そんなことは、教育の専門家であれば分かっていることだと思うのですが、どうしてそこが変わる方向に動かず、下の現場にプレッシャーを与える方向に動くのか。
試験、競争を是認するものは、勝者だけであり、敗者は黙して語らず、その場から退場する。学力向上対策で「もっと締め付けを」と叫ぶのは、学歴争奪競争に勝ったものだけであるとも。
過激な内容の本ですが、わが国の教育のあるべき姿を考えさせてくれる一書です。