農業のバランス 昨日の一般質問で、中村議員は、わが国農業の産業政策的ベクトルと農業の外部経済を重んじる地域政策的ベクトルというふたつの異なる方向性について、そのバランスをどう考えるかと質問致しました。
頭が単純にできている僕は、少し難しい表現だなあと思いながらも興味深く聞きましたが、最後には、産業政策・構造政策として一層推進しても良いのではないかと結び、バランスを問うものでした。
今日は、農林水産それぞれに興味深い質問がありました。と言っても、目新しい質問と言うわけではありませんが、僕の質問の角度と真逆かなあという点で、興味深いということです。
漁獲圧力の削減 まず、大田市の藤山議員が、大田市の小型底引き網の問題を取り上げました。小型底引き網、県内には56隻あるとのことですが、そのうち49隻が大田市の4漁港に属しており、経済不況等による魚価の低迷、燃油の高止まりによって厳しい経営環境。
それを補うために出漁日数を増やしているとのこと。しかし、それが過大な圧力となり資源枯渇が心配される。だから、減船による漁獲圧力の削減や市場統合による経費節減によって小型底引き網漁を守って行きたいとの答弁。
もう一つ、資源枯渇懸念の背景には、船や漁具の高性能化があります。確かに効率を考えれば一時は良い。しかし、新しい船を買えば償却のために漁獲を増やす必要があり、資源にダメージを与えることになる。
効率性や規模の経済を追求したために自らの首を絞めることになっている。
林業の生産性向上 論客の園山議員、オーストリアを例に、路網整備による大型機械の導入で林業の生産性を上げるべきだと。僕も、オーストリアの林業のことを書いた本を読みました。林業もご多分に漏れず、グローバルな競争原理の中にあり、一理あります。
大型機械の導入で、若者が活躍し、大きな収入を得ている先進例も聞いています。
しかし、ここでも規模の経済に疑問を抱かざるを得ないのです。条件不利のわが国の森林、路網整備にしろ大型機械導入にしろ、半端ではない税の投入が必要となります。そこに、油を垂れ流すような大型機械が唸りを上げる。
わが国の林業で、規模の経済を追求することは、持続可能な林業を担保することになるのか?まあ、こんな能天気なことは部外者だからいえるのだろうと思いますが。
農地の集約化 成相議員は、農地の集約化を進め生産性の高い農業を目指すべきだとの意見(かなりはしょっていますが)。つまり、規模の農業を目指すべきだということ。
先日、TVを見ていて驚いたことがあります。それはアメリカのトウモロコシ(麦ではなかったと思います)農家だったと思いますが、何百ヘクタールに単一作物を作付けしている。しかし、そこに、除草剤の効かない厄介な雑草がはびこり始め、大変なコストがかかり、経営に大きな影響が出ているという話し。
また、わが国のミツバチが大変な状況にあると聞きます。ミツバチの大量死などもあり巣箱にまで抗生物質を噴霧する。そして、女王蜂になる卵が孵化しないということもあるのだとか。農薬なのか環境ホルモンなのか、よくわかりませんが。
また、中国では、生産性を上げるために使った大量の化学肥料のため、農地が回復不能に近いダメージを受けていると聞きます。こんな話しは枚挙に暇がない。
百姓とは 自然農法や有機農法でよく聞くことは百姓と言うことについて。もともと百姓とは、多様な生業を持つ者という意味であったようですが、そこから、農業はさまざまな作物を作るのが本来のあり方だとか。
木の花ファミリーでは100種類以上、230品種を育てていましたし、浜田市弥栄町のあるおばあちゃんは、60種類以上を作付けし116種類の植物を一人で手がけていると。
そんな農業、大庭自然農園でも、木の花ファミリーでも、害虫という概念が余りありません。うまく共生しているんですね。自然は本当に不思議ですし、うまくできている。
今、選択の時? そこに、規模拡大だとか、効率化だとか、お金の論理が入り込んでくるとコントロールが利かなくなってくる、と思うのです。自然と調和しながら恩恵を受ける、そんなゆるい関係を築いたほうが長続きするのではないか。
規模の経済か、共生の暮らしか、今、選択を迫られようとしているのではないかと思います。