「老いていく自分は、子どもに還っていく人間の自然なすがた」
恥じることはない 「もの忘れがひどくなることを嘆くことはない。成長する中で身につけた知識と記憶を、少しずつ世間に返していく。子どもに還り、赤ん坊に還り、やがて誕生した場所へ還る。それを死という。」
だから、体が不自由になろうと、例え下の世話をしてもらうことになったとしても恥じることはない。赤ん坊の時は全部回りにしてもらったのだからと、五木寛之は「遊行の門」の中で述べています。
我がままと愛 知夫で看取りを行う柴田さんの感化を受けて?死の文化、看取りの文化の大切さを考えるようになりました。そして、幸(高)齢者の皆さんが、もっと我がままを言える、我がままに振舞えるような社会にしなければと思うようになりました。
そのためには、社会的コンセンサス作りが必要です。同時に、介護休業制度や地域の助け合いネットワークの構築等、支えるシステムの拡充が不可欠だと思いますし、多世代同居への環境作りも必要です。
昨日の、メディア漬けから子どもたちを守ろうという伊藤先生の講演を聞いた感想にも書きましたが、人の尊厳ある死や、例えば、子どもの豊かな成長を支えるには、社会全体が愛を取り戻すことが必要だと思います。
スウェーデンの画家スティッグ・クレッソンは、スウェーデンは戦後余りにも簡単に豊かになったが、多くのものを失ってしまった。幸福への呪文は<儲かる社会>だったと述べています。私たち日本人も、効率の悪いものや、自分が苦労しなければならないようなことはできるだけ避けるような社会システムをつくってきました。それは、世界一残業の多い社会でもあります。
島根の特養を見た中国の方が、「日本人は人の尊厳をどのように考えているのか」と聞いた言葉が頭から離れません。本当の愛を見失った姿がここにあるのではないかと心が痛みます。幸(高)齢者さん、我がままを言っていいんですよ、そう言ってあげられる島根にしたいなあと思います。
本物のマイナス思考 「マイナス思考は、プラス思考の母であり、出発点だ。」
昔の僕は、マイナス思考では人後に落ちないほうだったと思っています。著者は、「本物のマイナス思考は、人を勇気づける。」と書いていますが、この考え方がマイナス思考?と思ってしまいます。僕のマイナス思考は、デフレスパイラルのようになかなか這い上がれなくて・・・><)というようなものだったから。
本物のマイナス思考などというものがあるのかどうか、良くわかりませんが、マイナスから出発してプラスにしていく、ということかもしれません。
五木寛之、いつも違和感を感じながらも共感するのは、人に共感する姿勢、そして、結局プラス思考だからだと思います。だったら、すんなりプラス思考で話してくれよと思う僕は浅はかなんでしょうね。